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生きているんじゃないか。

例えば自分がマイケルだったらどうするか。一時は俺は世界の頂点に君臨した。世界中の大衆の目を自分に向けさせることが出来た。しかし、年々体力は落ちていく。全盛期のような動きがもう出来ない。少なくとも、人前でパフォーマンスを行うことには限界が来ている。

次で最後にしよう。最後、瞬間的でもいいから、あの頃の自分を取り戻し、ステージから去る前に、もう一度大衆の目に、自分の勇姿を刻み込ませてやろう。これがファイナルだ。

そしてファイナル・ツアーを組む。

もう二度とステージには立たない。もう二度と人前では踊らない。歌わない。練習も必要なくなるだろう。誰かに見てもらう必要がなくなるのだから。

だから最後のステージは、全ての人々に見てもらいたい。この最後の勇姿を。

だからこのファイナル・ツアーを特別のものにする必要がある。バンドであれば、たいてい解散ツアーを行う。でも自分はバンドではないし、そもそも解散、引退だけでは物足りない。インパクトに欠ける。

全ての人々を釘付けにする方法。

それは今から数千年前、ある男によって実現され、それは現代にも語り継がれ、そして現代では「神」として、今なお人々の心に宿している。

その男の名は、「イエス・キリスト」。彼は処刑された後、生き返った。そしてキリストは神になった。

マイケルは追悼コンサートが行われる。そこで彼は復活し、神になる。そう考えた。

一見大胆不敵だが、ただし彼なら考えかねない。なぜなら彼は、子供のままの時間で止まってしまっている、極めてピュアな人間だからだ。

これらは全て俺の憶測でしかないけど、マイケルは子供のままで生きている。身体は大人になったけども、心は子供のままだ。小さい頃からスターの世界にいて、何でも思い通りになった。若くして地位も名誉も全て手にして、欲しいものは何でも買えた。

現に、物の買い方も子供同然だ。気に入ったものは何でも買い占めた。遊園地でも電気屋でも、全て貸切にして、思いのまま楽しんだ。子供だったら誰もが一度は夢見たことだろう。買占め、貸切。まるでお金の使い方を知らない子供同然だ。お金の使い方のレクチャーを受ける以上のポジションに、彼はあっという間になってしまったから、誰も彼に逆らうものはいなかったし、異言を唱えられなかった。彼の言動は幸か不幸か、全て彼の思いのままになってしまった。

挙句の果てには、大ファンだったビートルズの楽曲の著作権まで買い占めてしまった。普通だったらグッズや盤を集めるのがファン心理だけど、彼はビートルズそのものを買ってしまった。楽曲の権利を買うというのは、その曲を作った人間を買うのと同じことだ。この独占欲は、大人の姿をした子供が取る行動として相応しい。

そして、自宅に遊園地を設立した。呼ぶ人間は当然子供。彼が子供のままなんだから、子供を呼ぶのは当然のこと。

俺が思うに、例の性的虐待の件、あれはマイケルは白だと思う。実際無罪判決だったから白なんだけど、例えば子供のマイケルは、子供達と一緒に寝たがるのは当然のことと考えられる。

例えば子供の頃、友人宅にお泊りに行ったときに、友人と一緒に寝た経験なんて普通にあるだろうし、布団の中でいたずらごっこもしただろうし、股間を触りあって、キャッキャッはしゃいだ経験もあるだろう。小学生同士であれば、それは何ら違和感ないことだけど、そこに大人が混じっていると、途端に見え方は変わる。ロリコン、同性愛者、急にややこしい表現が出てくる。でもマイケルは、ただ友人達とじゃれ合いたいだけだったのではないか・・・。

その彼の習性につけこんだのが、あの事件だったのでは・・・?生きていくのが困難な人たちはたくさんいる。自分の娘を売りに出す親も世の中にはたくさんいる。

そう考えれば、自分の息子をネバーランドへ潜入させ、性的虐待を受けたと訴訟を起こせる証拠を作り、彼を訴えて慰謝料をせしめ取ろうとする考えを持つ親が現れても、不思議ではないと俺は思う。もちろん、実際の所は分からないけども。

そんな童心のままのマイケルが、最後の舞台で仕掛けたイタズラ、それが今回の復活劇ではなかろうか。

「20世紀少年」のともだちも、そうやって神になった。ともだちも、思えば子供の心を持った大人のような感じがする。

とは言え、現実的に考えれば、マイケル・ジャクソンは死んだと考えるのが妥当ではある。病院を、警察をどう抱き込んだのか。検死はどうなる。兄弟の発言はどうなる。そもそもこれで生きていたとしたら、罪に問われないのか。ファイナル・ツアーの最初の舞台、イギリスへどう入国するのか。または既にしているとすれば、したのか。普通の考えで行けば、あり得ない。

しかし、プロモーションとして考えた時に、これ以上に有効なプロモーションは存在しない。

現にこの日本でも、TVは特別番組を組み、CD屋はマイケル追悼コーナーを展開し、今人々の頭の中では「スリラー」や「beat it」が流れ、マイケルの顔が浮かぶ。このブログでも、つまりwebでもマイケルの名前はあちこちに広がり、人々はマイケルの訃報を聞いた後、最低でも2〜3人とマイケルの話をしただろう。

どこも各地もマイケル・ジャクソンの話に瞬間的になる。これは、日本だけでなく、世界中が今そうなっている。

そこで、彼がステージに降り立ったら、世界はどうなるか。

少なくとも、マイケルは今、生きていても、死んでいたとしても、一度はそれを実行出来ないかと、考えたことくらいはあったのではないか。

もしあったとしたら、それを行う時期としては、今以上のタイミングはないと俺は思った。きっと彼もそう思うだろう。